※私が主宰する「政経文化フォーラム」において、去る2020年11月16日(月)に行った講演の要約を掲載しています。

 近年、世界各国で貧富の差が拡大し、国民の不満がたまっている中で、コロナが蔓延して、多くの貧困層の人達が犠牲になっているが、こうした現状を強力な指導力で打開してほしいと願う人々によって、世界全体に独裁者を期待する流れが生まれてきているように思う。これは極めて怖いことである。ソ連が崩壊して冷戦が終結し、そのソ連圏から離れた国の人達が民主化を求めて今日まで来たが、今逆戻りを始めている。例えばハンガリーやベラルーシも逆戻りして、独裁者が君臨するようになってきている。その他の国でも、例えばフィリピンのドゥテルテ大統領、ブラジルのボルソナーロ大統領も独裁の方向に向かっている。独裁者を容認する風潮が広がってくることは極めて危険なことであり、今こそ民主政治、議会政治を守らなくてはいけない大事な時なのである。

 日本の国民の皆さんにはそのことを十分理解をしていただかなくていけない。しかも、残念ながら肝心の国会がそのように動いていない。ますます議会政治が形骸化しつつある。

 安倍政権が進めてきたことは何だったのか、小泉政権と同じ路線を進めてきたように思う。日本国憲法において、立法、行政、司法の三権が分立し、それぞれがチェックをし合う形になっているが、日本の首相はアメリカのような直接選挙ではなく、国民から選ばれた衆参両院議員により国会において首班指名選挙が行われ、内閣総理大臣が指名を受ける仕組みとなっている。いわゆる議院内閣制をとっているので、国民に一番近いのは立法府である国会なのである。三権のうち、日本国憲法に最初に記述されているのは第四章の「国会」であり、第四十一条には「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と明記されている。その「国会」が行政権の長を選ぶ。国会の指名を受けた首相が組織する「内閣」については第五章に明記されている。そして次の第六章に「司法」としての裁判所の記述がある。国民に一番近いのは国会なのだから、国会の論議はもっとしっかりしてもらわなくては困るのである。

 近著『許すまじ!日本売却』にも書いたが、小泉政権の時から総理は自分が大統領にでもなったような気分が強くあり、自分は国民から選ばれた首相であって、自民党から選ばれた首相ではないといった意識だった。国民から選ばれた内閣総理大臣が国会に対して“ああやれ、こうやれ”と言うのは決しておかしなことではないというわけである。小泉元総理も、安倍前総理も、菅総理もそうだろうが、衆参両院の議長の任命にしても、与党の党首である自分が任命をしているという意識である。最高裁の長官や判事に対しては、罷免権はないが、任命権は総理にあるのでこれも自分が決めるという意識を持っている。これでは三権が同じレベルでなく、立法、司法の上に行政権が君臨してしまっている。そして、その行政権の長である総理の与党の中で活発な議論が行われなくなり、政権の政策に批判的な意見はほとんど出なくなっている。自民党の最高議決機関である総務会において私の親しい議員で、骨のある議員が色々と発言をしても、結局孤立をして外されてしまう。こうした状況下で一方の野党が、自分達が政権を取ったら、安倍政権や菅政権とは違った、こういう政権をつくります、日本の国をこういう風に変えますと堂々と基本理念や基本政策を明らかにすれば、もう少しは国民の期待感が出てくるだのだと思うが、それを言わない。

 日本学術会議の問題は、野党が追及している通り、政権が学問の自由に踏み込むことは間違っていると思うが、衆参の予算委員会が学術会議の問題ばかりで、他の問題をほとんど議論しないようなことは、どう考えてみてもおかしい。財政、経済、金融、安全保障、外交、教育など、もっと国全体の在り方をきちっと議論して、野党が政権を取った暁にはこういう国ができるのだという期待感を国民に与えてくれるようにならないと、いつまで経っても支持率が上がらない。

 一方の菅総理は、もう少し自分の言葉で国民に問いかける演説力を持っていればもっと違うのだろうが、何しろ官邸、官僚がつくった文書を読むことしかやらない。官房長官として7年間以上、官僚文書を読んで安倍総理を守ってきたことと同じようなことをやっている。

 先日、アジア2ヶ国を訪問してきた後の会見でも文書を読んでいる。自分が相手の国の首脳と議論をしてきたのだから、内容は自分が一番わかっているはずであり、その中で公にすべきこと、公にしてはいけないことの区別はつくはずだから、公にすべきことは文書を読まずに堂々と言わなくてはいけない。

 2014年に創設した「内閣人事局」を使って、官僚をコントロールしようとする考え方は未だに変わっていないようだ。その中心となったのは、かつて官房長官だった菅さんと2人の官房副長官。その1人、杉田和博氏が日本学術会議の問題についても自分のさじ加減でやったことが明らかになっている。その杉田氏を国会に招致しようとしても頑として応じない。菅政権もますます独裁化の方向に進みつつある。

 そうした動きに対してメディアは堂々と批判をしなくてはいけないのに、全くそういうことをしていない。テレビにしても、民放はコマーシャリズムの中で商売をしているので無理な面もあろうが、公共放送であるNHKこそこういう時にしっかりしなくてはいけない。政治に対して距離をとり、国民の立場に立って、よいことはよい、悪いこと悪いと堂々と主張をしなくてはいけないが、それをやろうとしない。逆に、菅総理はそこに手を入れてNHK改革をやると公言している。菅総理が総務大臣だった時にNHK改革をやろうとして、私は体を張って防いだ思い出がある。

 菅政権は私から見ると竹中・アトキンソン政権である。総務大臣の時に菅氏を副大臣として使っていた竹中平蔵氏がまた堂々と表に出始めている。安倍政権の時は奥に引っ込みながら各種諮問機関を牛耳ってきたが、菅政権になってから未来投資会議を成長戦略会議に衣替えし、自分の自由になるような民間人をどんどん入れて政策を進めようとしている。デビット・アトキンソン氏についてはよく知らないが、菅首相はどうも彼の言うことを聞いていれば間違いないということらしい。観光におけるいわゆるインバウンド政策もアトキンソンが進言して、それをやった結果うまくいったという。アトキンソン氏はもともとアメリカの代表的金融資本の一つであるゴールドマン・サックスのアナリストをやっていた人で、グローバリストであることは間違いない。そういう人が竹中氏と組んで基本政策を立案することになると、これまでも日本が守ってきたものをなし崩しに壊されてきたけれど、そこにとどめを刺すことになりはしないかという強い危機感がある。(続く)