(1)
 1年を振り返ってみて、今年は色々なことがあったと思う。平成から令和の御代替わりになった節目の年であったが、その一方で多くの自然災害が発生した。集中豪雨や台風、地震が全国各地で頻発し、大災害がいつどこで起きても不思議ではない状況になってきている。先日、ドイツの環境団体が発表していたが、去年1年間に異常気象で最も深刻な被害を受けた国は、記録的な豪雨や猛暑が続いた日本だという。異常気象が続いている状況に国民全体の不安感が広がってきている。それに加えて、政治が将来の方向を示せず、また首相をはじめリーダーが不祥事に対する責任を一切取ろうとしないので、政治に対する信頼が全くなくなってきている。

 経済の分野でも、この年末のボーナスをみると、大手企業では昨年よりも支給額が増えているようだが、こういう数字は一部の非常に伸びている企業に引っ張られて指標がプラスに出たりするわけで、中身をみると非常に格差が広がっている。給与所得を見ても、大企業の経営幹部の所得はこの10年、20年でものすごく増えていることは間違いないが、一般の従業員の実質賃金は下がってきており、企業の中でも格差が広がっている。それに加えて、相変わらず社会保障の将来展望が明確に示されない。年金の支給開始年齢を遅らせるとか、定年制を上げていくといった後ろ向きの話ばかりで、前向きな展望が見られない。

 以前から述べているが、勤労者はある程度企業が安定し、所得が増えていくという安心感がないと、なかなかお金は使えない。本当に必要な物しか買わなくなってきている状況の下で更に消費税の引き上げに踏み切ったのだから、消費が伸びることは現状では考えられない。安倍内閣は、いいことばかりを取り上げて宣伝するが、私から見ると、国民に安心感を与えるような政策は全く見えてこない。来年度予算も102兆円を超える大型予算を組んでいるが、それによって景気がよくなるという見通しは全くない。来年の東京オリンピックまではあの手この手でやり繰りしていくのだろうが、オリンピックが終わったら急速に経済が冷え込む可能性があると思う。

 これも一貫して述べていることだが、国内総生産の約7割を占める個人消費が伸びない限りGDPは大きくならないし、国内の景気がよくなったという実感は出てこない。幸い、救いなのは、国として海外からお金を借りていないことである。国内にまだ余力があるうちに思い切った経済財政政策を実行することが大事である。財務省をはじめ、財政健全化を図る為には税収を増やさなくてはいけない、消費税をもっと上げなくてはいけないと主張する人もいる。しかし消費が更に落ち込んでいくような政策を実行して財政が健全化するはずはない。やはり国内にあるお金を国内で循環させる政策をとることが一番大事なのである。その為には、溜まっているお金をどう動くかすかということである。政治で一番大事にしなくてはいけないことは、一人一人の生活をいかに豊かにするかということであり、その為には可処分所得を増やすことが第一である。サラリーマンにとっては勤務先の企業の給与やボーナスを増やしてもらうのが大きな願いだろうけれど、国としてやれることは所得減税である。特に中間所得層に対する思い切った所得減税を実行すべきだ。ベーシックインカムという考え方もあるが、低所得層に対するベーシックインカムはあってもよいと思うが、中間所得層は自分で一生懸命働いて稼いでいるわけだから、そういう人達には税負担を軽くしてあげることが大事である。そう言うとすぐ「その財源はどう確保するのか?」という議論になるが、もともと格差社会になったのは、富裕層と大企業に手厚くなっていることの裏返しであるのだから、法人税や所得税の税率の見直しをすればよいのである。たくさん儲けているような大企業に対しては、もっと多くの法人税、法人事業税を納めてもらう。また内部留保に対して課税するのも一つの考え方である。更に1,800兆円以上ある個人金融資産のうちの預貯金が900兆円以上を占めるが、一定額以上の預貯金に対して課税をする。お金が回り始めればよい循環になってくる。税金で取られるくらいならお金を使った方がよいと考えれば個人消費に結びついていくし、法人にしても税金で取られるなら従業員に還元しようという考えも出てくるだろう。私はむしろ消費税率を逆に引き下げて、足りない分は消費税導入以前にあった物品税を設けるべきだと思っている。贅沢品を買える人はかなり所得のある人なのだから、そういう高額所得者は物品税を取られても欲しいものは買うのである。

 もともと中間所得層の大きな消費力によって日本の経済は大きく成長してきたのに、富裕層、大企業が不利な扱いを受けているというような声に迎合し、アメリカ社会に倣ってそういう人や企業を優遇するようにしてきた結果として、中間所得層がなくなり、格差が拡大した。世界の先進国がお手本にしたいと思っていた、いわゆる一億総中流社会を小泉政権以来の間違った政策で壊してしまったことは、今の社会不安の一番大きな原因になっていると思う。小泉元首相がかつて「自民党をぶっ壊す。」と広言して国民の人気を得たが、その時に私は自民党を壊すだけならよいが、彼の間違った政策は日本を壊してしまうと強く批判したが、現状はまさに私の想像通りになってしまっている。

 一方で、これから日本が再構築していかなくてはいけない社会の姿や形について、野党も全く全体像を示すことができず、今の政権与党の失策みたいなことばかりを批判しているから、いつまで経っても国民の期待感が生まれてこない。思い切った経済財政政策の転換を、果たしてどこの政党が打ち出していけるのだろうか。選挙も近いと言われている。野党は一本化しないと勝てないということばかりを考えているようだが、それぞれ理念や政策がハッキリしないものをいくら一つにまとめてもあまり意味がないと思う。

(2)
 海外に目を向けると、アメリカは来年の大統領選挙に向かって色々な動きが出てきている。トランプ大領領は“アメリカをバカにするな”、“アメリカは最強だ”とよく自慢をするが、いまのアメリカは第二次世界大戦以後、世界の秩序を再構築する為に果たした責任や役割を完全に放棄しているわけだから、世界の面倒を見ようという気はさらさらない。だから「アメリカファースト」と言って、もう一度国内をまとめたいということなのだろう。あれだけの広い国土と資源、エネルギーを持っている国だから、やろうとすればできないことはない。ところが、国際的な約束事を次から次へと反故にしていく。異常気象を改善する為に世界全体の大きな課題になっている環境問題ではパリ協定から離脱するとか、あるいは旧ソ連との中距離核戦力の全廃を約束した条約を破棄するとか、そんなことばかり言っていて、アメリカとしてどういう世界をつくろうとしているのかを全く言わなくなっている。

 ヨーロッパを見ても、イギリスのEU離脱がスムーズに着地できればよいのだろうが、EUとの自由貿易協定のようなものがまとまらなければイギリスにとっても新たな混乱が生まれることになり、EUとしても難しい局面になってくる。中南米でもアルゼンチン、チリ、ベネズエラをはじめとして多くの国々が惨憺たる状況に陥っている。朝鮮半島や中東地域でも、安全保障上のリスクを抱えている。更に国際機関もそういう地域や国を救える力がだんだんなくなってきている。そういうリスクを未然に防ぐ力を国際的にどう構築していくかが、いよいよ問われてくると思う。

 そういう混乱した状況の中で目立っているのは、ロシアと中国である。プーチン大統領、習近平国家主席、いずれもますます独裁化の動きを強めている。独裁化の流れは、ロシアや中国ばかりではなく、色々な国でそういう現象が起きており、例えば、東欧のポーランドにしてもハンガリーにしてももともとソ連圏から民主化を勝ち取ったはずの政権が再び独裁の方向に進んでしまっている。背景には中東からの難民の受け入れの問題、そしてそのことが引き起こす社会の不安が底流にあるのだろうが、独裁政治の怖さと限界は既に経験済みのはずなのに再び同じ道を進もうとしていることに何か末恐ろしさを感じる。

 特に中国の場合には、覇権国家としてますます大きくなっていこうとする習近平の意図がはっきり見えてきている。一帯一路構想も、それに賛同し協力する国々が本当によくなり、国民が潤っていくのならばいいけれど、結局、中国の覇権を確立する為の一つの方法として構想を唱えているようにしか見えない。大きな資金力を武器に、経済が苦しくなっている国々に経済協力や経済援助をやりながら、その構想を実現し覇権を唱えていくことは、決して世界の平和につながるようなものではない。来春の習近平主席の訪日をにらんで、日本の世論を和らげる為に、先日の安倍首相の訪中に異例の厚遇をしたが、その意図は明らかである。安倍首相は堂々と日本の立場を主張するべき絶好の機会を得るのだから、習近平主席の国際宣伝の場にされない為の細心の注意が必要だと思う。

 もう一つ怖いのは、近年インターネットが世界の人達の生活様式を変えたことは間違いないが、更にIoTやAI、ブロックチェーン技術などの新たな情報通信技術の進歩発展が顕著になってきて、今までの国という概念を崩していっていることである。それがまた通商貿易の姿そのものを変えている。新たな技術をうまく取り入れて、それに乗っていく企業が国境を越えてどんどん大きくなっていく。いわゆるGAFAといわれているような企業が国家に変わる役割を果たしていくこともあり得る。結局、新たなツールを使って、それを使う人達を無意識のままにコントロールしてしまう。あらゆる個人情報もすべて集中してしまう恐ろしさが現実にある。特に独裁体制の国において、そういう新たな技術を体制維持や体制強化の為に利用すれば、ますます恐ろしいことになる。まさに今の中国はそういう方向に向かいつつある。情報通信技術と独裁国家の覇権拡大の意欲がリンクすると大変な危険なことになりはしないかと思う。情報通信技術を駆使して世界を征服してしまうようなことを国際的にどう防いでいくかを早急に話し合っていかないといけないだろう。大事なことは、科学技術は人類が存続する限り永久に進歩発達していくが、それを人間がコントロールできなくなったら終わりなので、あくまでも人間の幸せの為にそういうものを使えるようにしていかなくてはならない。安倍首相が海外に行って各国のリーダーと話をしているけれども、大きな人類史的な変化の中で日本がどういう役割を果たそうとしているのか、明確に示しているわけでもない。首脳外交というのは、その首脳が持っている世界観をぶつけ合って、そこから一つの協調を生み出すものでなくてはならない。ただ単に損得だけでやれるようなものではないと思う。

(3)
 令和の御代になって皆で改めて皇室の歴史や伝統を見つめ直していく時代になったが、もともと農耕民族としての共助共生の理念は日本の国の成り立ちからして持っているわけだから、それを堂々と世界に向けて発信していくべき重大な役割と責任があることを各界のリーダーはもっと自覚をしてくれないと困る。

 11月23日(土・祝)から26日(火)にかけて、フランシスコ・ローマ教皇が来日され、ローマ教皇としては38年ぶりのこととなった。12億人を超える世界のカトリック教徒から絶大な尊敬と信頼を得ておられる教皇は世界の平和を常に考えておられ、このたび広島、長崎の被爆地に行かれて、世界に向けてメッセージを発信されたことはものすごく意味のあることで、日本の政治リーダーはこのことにもっと真剣に耳を傾けるべきだと思う。フランシスコ教皇は、核兵器を使う、使わないではなく、保有することそのものが犯罪だということを言われていたが、そのメッセージは非常に重みのあるものである。残念ながら、北朝鮮が非核化と逆の方向に向かいつつあり、中国もアジアの各地に武力行使も辞さないということをちらつかせ、香港ばかりか、更には1月早々に行われる台湾の総統選挙にも色々と干渉しているということも言われている。そういう中で、一部に日本も核を持つべきだ、核武装すべきだと言う人がいるが、私に言わせればとんでもない話である。フランシスコ教皇が核兵器を保有すること自体が犯罪だと言われていることを唯一の被爆国としてもっと真剣に考えるべきではないか。

 原発の問題にしても、沿岸部にある多くの日本の原発がもし攻撃を受けた場合には、核攻撃をされたのと同じような、あるいはもっと大きな犠牲を国民が払わなくてはいけなくなる。大企業の経営者の論理からすれば、原発をなくしたら一体電力をどうやって安定供給するのかという反応しか返ってこない。ドイツのように政治の選択として、まず原発を廃止するという大きな政治決断をした上で、できる限り国民生活や産業に影響が少ないタイムスケジュールをきちんとつくって段階的に進めていくべきだと思う。存続させる大前提で今の大きな問題をどうやって処理していくかという話と、原発を止めるという大きな決断をした上でどういうプログラムを作っていくのかという話とでは全く意味が違う。

 日本は核兵器禁止条約に署名もしない。なぜなのかと問われると、安倍内閣は日米安全保障条約を結んでアメリカの核の傘に依存しておきながら、一方で核兵器反対、核廃止ということは矛盾だという言い方をするが、全く次元の違うことを言っていると思う。片方で唯一の被爆国と言いながら、核兵器を禁止しないというアメリカの肩を持つことの方が矛盾だと思う。トランプ大統領はできるだけ海外に責任を持ちたくないと思っているので、NATOからも手を引きたい、アジアからも、中東からも手を引きたいと思っている。そういう時だから、逆に日米安全保障条約を見直していく、あるいは廃止する機会でもある。日米安保条約が結ばれていなくても日本の安全が保たれるような環境をどう構築するか、今政治が一番考えなくてはいけないことである。これを理想論と言う人がいるが、決して理想論ではなく、まさに現実の政治課題であると思う。以前から述べているが、“日本を攻撃しても何も得にならない”と言う国を世界に増やしていくことが日本の安全を守ることにつながる。必要最小限の自衛力は持つべきだが、もっと大事なことは、独立国として自分の国は自分の手で守るという意識を国民が共有した上で、武力を使わずに国を守る為の高度な外交、安全保障政策を実現することだと思う。近隣の脅威があるからといって、短絡的に自衛力を大きくして核武装をすべきだという考えにどうしてなってしまうのか、理解に苦しむ。平和国家日本の新しい安全保障政策をこの機会にどう作っていくか、まさに喫緊の課題だと思う。

 来年はそれこそ何が起こるかわからないが、日本という国が長い歴史を通じて培われてきた素晴らしい平和の理念と伝統を持っている国であることを、改めて多くの人達が考えてくれることを望みたい。