通常国会が6月15日(水)に閉会した。今回は会期延長もなく、既に内閣不信任案が否決された状況で、予定されている参議院選挙は6月22日(水)公示、7月10日(日)投開票の日程で行われることになる。直近の世論調査を見ると岸田内閣支持率は50%~60%台、自民党支持率は40%を超えている。一方、野党第一党の立憲民主党は6%程度と、2桁に届かないのでは全く勝負にならない。

 今度の内閣不信任案では野党の国民民主党と日本維新の会は反対に回っている。その2党は半与党みたいなもので、とても野党とは言えない。野党がバラバラの状況で参議院選挙をやれば、今の支持率から見れば自民党の圧勝になるだろう。そして参院選の後が心配だ。昨年の衆議院選挙で圧勝し、今度の参議院選挙で圧勝すると、いよいよ安倍政権以来の憲法改正が視野に入ってくると思う。もともと私は大反対だが、安倍内閣の時に集団的自衛権を容認する閣議決定をしてしまい、それを基にして安保法制を抜本的に変えてしまった。わかりやすく言えば「戦争ができない国」から「戦争ができる国」に変えてしまったのである。

 その流れに乗って、最近、小野寺五典氏が会長をしている自民党安全保障調査会が提言をまとめ、岸田首相に手渡した。首相も提言を尊重するようなことを言っている。極めて危険なのは、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換え、日本が攻撃を受ける恐れのある相手国のミサイル基地を先制攻撃することまで盛り込んでいることだ。単に基地だけではなく、相手国の指揮統制機能等も含むものとしている。そんなことを認めたら、多くの住民が生活している都市に中枢機能があれば、そこを攻撃してもいいという話になってしまう。

 言うまでもなく、日本は戦争をやらないということを憲法に謳っている。国際紛争を武力行使によって解決することはしないと宣言しているわけだから、まさにそれを甚だしく逸脱した憲法違反である。

 敵国を攻撃する場合には、国際法上当然ながら宣戦布告をしなくてはいけない。ところが日本は戦争をしないと最高法規である憲法で規定しているわけだから、宣戦布告は憲法上許されるはずがない。宣戦布告をしないで突然相手を攻撃することは、まさに日米開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃と同じようなことになってしまう。ただ真珠湾攻撃の場合には宣戦布告をしていたのだが、日本の外務省の手違いで遅れてしまい、攻撃の方が先になってしまった。アメリカとしては宣戦布告なしに日本が突然攻撃をしてきたとしているが、実際には宣戦布告をしていたのである。

 今度の自民党安全保障調査会の提言だと、憲法上宣戦布告はできるはずがないのに先制攻撃をやってしまおうというのだから、無茶苦茶な話だ。「戦争をしてはならない」「戦争に巻き込まれてはならない」というのが日本の国是であるはずなのに、巻き込まれないどころか、こちらから戦争を仕掛けるという考えられないことを平気でやろうとしている。しかも防衛予算が足りないからとして、GDP対比1%程度を5年間で2%に引き上げることを提言している、

 岸田内閣が発足した時に、安倍内閣が非常に危険な路線を進んでいたので、それに待ったをかける政権になってほしいとの期待感が多少はあった。岸田首相は宏池会という政策グループに所属している。宏池会は池田勇人元首相がつくったグループで、その後の大平正芳元首相にしても宮澤喜一元首相にしても非常にバランスの取れたリーダーだった。決して偏った政策を打ち出すグループではなく、むしろ党内の穏健な考え方を代表するグループだったはずである。そこから政権担当者が選ばれたので、安倍政権の偏った路線にブレーキをかけてくれるのだろうと思っていたが、実際には全くそうではない。

 完全に小泉路線、安倍路線にそのまま乗っている政権である。安倍グループは党内最大派閥だから、そこに神経を使うことはわからないでもないが、行き過ぎた内外政策を是正するところに岸田政権の存在意義があるはずなのに、全くそういう動きが見えてこない。

 ウクライナ戦争を一刻も早く終わらさなくてはいけないが、仮に一時停戦の状況になったとしても、世界全体が今、グローバリストとナショナリストとの対決、対立の様相を呈しており、グローバリストの方が圧倒的に優勢になっている。本年1月に、グローバリストの牙城とも言える通称「ダボス会議」、世界経済フォーラムに岸田首相が出席しスピーチをしているが、そのスピーチの内容を見ると、完全にグローバリストの仲間になって、日本としての役割を果たすということを言っている。

 1980年代の終わりから90年代のはじめに、「ニュー・ワールド・オーダー」(新世界秩序)という言葉がしきりに使われた。最後のソ連のリーダーだったゴルバチョフ氏も「ニュー・ワールド・オーダーは必要」だと言っていた。今、グローバリストの人達は、「グレート・リセット」という言葉を使い始めた。世界を政治的にも、経済・財政・金融の面でも一新して、その一元コントロールの元締めに自分達がなるという考え方である。

 岸田首相はダボス会議のスピーチで「グレート・トランスフォーメーション・オブ・リベラル・ソサエティ」という言葉を使ったが、「グレート・リセット」を言い換えただけで、同じことを言っているに過ぎない。要するにグローバリストの軍門に下ったというか、グレート・リセットの中でしっかりと役割を果たすと言っているのである。

 その後、本年4月に世界経済フォーラムを主催しているスイスの経済学者クラウス・シュワッブが来日し、岸田首相と会い、1月の岸田首相のスピーチに敬意を表し、それを再確認するような話をしたようだ。これをもって、岸田政権の性格が明確になった、と私は受け止めている。

 世界がせめぎ合いの中で、第2次世界大戦以降最大の転換期に入っているが、国際社会の一員として日本が言うべきことは何か。少し哲学的なことを言えば、今世界に79億5,400万人が生活しているが、その80億近い人達の個性は一人一人すべて違うのであり、その個性に優劣はない。各々が持っている唯一の個性をお互いに尊重し合うことにならなければ、平和な世界は実現できない。自分が幸せに暮らしたいと思えば、自分の個性を尊重してもらいたいし、その為には他の人達の個性も尊重しなくてはならない。そこで初めて「調和」という考え方が生まれてくるし、「平和な国際環境」も作れることになる。

 それを自分達が信じている宗教が絶対であるとか、他の宗教よりも優れているとか、また民族的に自分達が世界で一番優れているとか、他の民族は劣っているとか、そういうことを言っている限りにおいては、平和な環境は実現できるはずがない。

 日本はもともと農耕民族として地域社会を作り、自分達が生まれ育った地域を大切にし、自分達の祖先を敬い、氏神様を祀って、それを大切にしながら地域社会での暮らしを続けてきたわけである。もともと共助、共生の理念を持ち平和を愛する民族なのだから、その考え方や理念を、混迷を続ける国際社会に堂々と発信していく大きな役割があるはずである。ところが、占領統治時代のアメリカ依存体制に慣らされているうちに、それが当たり前だと思って、自分の頭で考えて行動することを忘れてしまっている。情報にしても与えられた情報をそのまま信じて、情報コントロールをされていることすら考えないようになってしまった。大手のマスメディアの報道は本当の姿を伝えることよりも、一つの意図を持った情報を流し、国民はそれをただ素直に信じて生活しているという状態になってしまっている。それはとても怖いことだと思う。

 もう一度日本はどういう国なのか、なぜ戦争に巻き込まれる危険があるのか、真剣に考えなくてはいけない。危険な時には日米安全保障条約のもとアメリカが守ってくれるから大丈夫だと思い込んでいるかもしれないが、自分の国を自分で守る気概と構えがなければ、独立国とは見なされない。日本は独立国だと思っているかもしれないけれど、実際はそうではないということである。

 2017年に亡くなったズビグネフ・ブレジンスキーは、ポーランド生まれのユダヤ人で、カナダに移住した後アメリカに移り、カーター政権時の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。その人がカーター政権時に「日本は独立国だと思っているかもしれないけれど、実態はアメリカの自治領である」といみじくも語っていた。本当にその通りなのである。しかも、外交・安全保障だけではなく、経済・財政、金融の面でも完全にコントロールされ続けている。

 すべて過去の政治家が立派だったとかよかったとか、単純には言えないが、少なくとも憲法を大切にし、憲法の容認する範囲で国際協力を行ってきた。アメリカに対してもダメなものはダメだと主張してきた。ところが今や全くそういうことも言わなくなってしまった。しかも政治的に一番怖いのは、自民党内に、私が話しているような意見を述べたり、考え方を持っているグループがなくなってしまったことである。完全に一つの考え方に集約されてしまっている。個人的には私と同じ考えを持っている人もいなくはないかもしれないが、それが顕在化してこない。グループとして形成されてこない。その一方で野党はバラバラの状態である。

 歴史は繰り返すと言うけれど、大東亜戦争、太平洋戦争の直前の日本の様相と似通ってきている。議会が形骸化して、虚しい議論ばかりやって、国民からも信頼されなくなり、政党が自ら解散して、大政翼賛会が作られ、戦争の道へと進んでいった。まさに今ほど政治の大切な時期はない。ところが、そのことに政治家自身が気づいていないのか、全く動こうとしない。勇気を持って発言しようとする政治家が与党にも野党にもいない。本当に危ない状況である。

 経済・財政、金融面で言えば、いわゆるバブル経済以降今日まで30年以上経っているが、小泉政権以降、歴代の内閣はデフレ解消を謳いながら、全く解消されないまま今日に至っている。特に安倍政権は日銀の黒田総裁を起用して、金融の量的緩和政策を採り続け、未だにそれを変えていない。金融政策として一番中心になるべき金利政策が機能しないまま今日まできている。本来、デフレの時には、需要と供給のバランスが崩れて供給過剰になっているのだから需要を増やしていく政策を官民で力を合わせてやらなければ解決できるはずがない。それなのに、供給を減らしてく政策をとって、バランスを取ろうとしていたのだから経済が縮小して元気がなくなるのは当然のことである。その結果、GDPが他の先進国に比べて著しく停滞し、あらゆる指標も先進国の中でどんどん落ち込んでしまっている。

 結局のところ、国民のことを本気で考えていないということである。どうやったら国民生活を豊かにできるのか、まず家計の豊かさを作り出すことを第一に考えるべきである。かつて池田勇人元首相が「所得倍増計画」を打ち出し、国民の支持を得た。岸田首相は「新しい資本主義」と言うのなら、同じように家計の豊かさをつくり出すことに最大の焦点を合わせてくれれば救いがあるが、訳のわからないことばかりを言っている。「検討します」とばかり言っているから、巷では「検討使」と揶揄されている。語り口はソフトだが、自分の考え方が表に出てこない。池田元首相当時の自民党のリーダーは、家計の豊かさをどうやって作り出すか、国民生活をどうやって豊かにするか、そのことを最優先にして需要政策に取り組んできた結果、国民生活が少しずつ豊かになり、可処分所得が増えて、買いたいものはある程度買える状況が続き、その消費力が高度経済成長を支え、多くの国民が中間所得層に集約される、いわゆる「一億総中流社会」を実現したのである。

 GDPは7割近くが個人消費なので、個人消費が盛んにならなくてGDPが大きくなるわけがない。しかし、GDPを大きくすることが当時の政治の大きな目標ではなかった。家計をいかに豊かにするか、国民生活をいかに豊かにするかを考えて、経済・財政、金融政策を実行した結果として、日本の消費は大きくなり、その需要の大きさがバランスの取れた生産や投資に結びついた。その結果、GDPが大きくなり、気がついてみたら一時期世界第2位の経済力を持つ国になっていたのである。GDPの大きさを考えるというのではなく、国民の生活を少しでも豊かにするためにはどういう財政政策、金融政策、経済政策を取ったらいいかを考えればいいだけのことである。

 今、岸田首相はしきりに「貯蓄から投資へ」と言うが、潤沢な利益を得ている大企業が国内に投資をするかといったら、需要がないのだから投資をするわけがない。個人消費も大きくなっていないのに、新しい投資をするわけはない。株式投資を考えてみれば、大企業や富裕層はそれだけの余力があるから株式投資もやるだろう。しかし、ほとんどの国民は貯蓄そのものが目減りする、あるいはなくなってしまっているような状況であり、そういう状況下で「貯蓄から投資へ」と言っても絵空事に過ぎない。

 だからこそ、中間層を対象にして思い切った所得減税を実行すべきだし、一定の経済成長路線に乗るまでは消費税の凍結をすべきだと思っている。財政はどうなるのかと言われるかもしれないが、財政は国債を発行してでも対応できる。安倍元首相は防衛予算を増やすために国債を発行しても構わないと言っているくらいだ。ただ、防衛予算に膨大なお金が回ることを考えれば、思い切った所得減税を実行して、国民に少しでも可処分所得を増やしていくことを最優先すべきだ。

 国債発行について、ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授が「自国通貨を持っている国が自国建ての国債を発行している限りにおいて財政破綻はあり得ない」と日本の例を見て確信を持ったと話している。しかも、日銀と政府は一体となっている。日銀による国債の直接引き受けは法律で禁じられているが、市中から日銀がどんどん買っているわけで、国債を購入するばかりではなく、ETF(上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)も買っている。まさに日銀と政府は一体であり、それが破綻することはあり得ない。やはり、こういう時は国民が財政再建の犠牲にならないことを最優先すべきではないか。思い切って所得減税を実行し、消費税を凍結し、富裕層に対する所得税や法人税の税率を以前の水準に近づけていけばいい。生活に困っている人達から税金を取り上げるようなことばかり考えて、取るべきところから取っていないのが今の税制ではないか。しかも、消費税については輸出企業には還付しているので、輸出大企業が中心になっている経団連(経済団体連合会)は消費税に賛成するのである。

 更に、需要がないところに投資は生まれないのは当然で、民間が投資をしないので投資不足になっているわけだから、こういう時こそ公共投資をやらなくてはいけない。戦後に整備した公共インフラがすべて老朽化しているのだから、更新するのに相当な公共投資が必要になる。そういうことを思い切って実行し、公共投資関連の事業の収益力を強めてていくことも必要だ。

 安全保障政策に関連して言えば、専守防衛を謳ってきた日本が中国や北朝鮮、ロシアの脅威が迫ってきている時に、シェルターの整備を全くやっていない。極めて国民のことを考えていないことだと思う。ヨーロッパ諸国は二度にわたる世界戦争の戦場になったので、戦争になった時に国民を守ることを第一に考え、シェルターをきちんと整備している。私は「永世中立国スイスに学べ」とよく話している。現職の時に日本・スイス友好議連の会長を務めたので、スイスのことはある程度は理解しているが、ただ単に永世中立でいくということを対外的に宣言しているわけではなく、永世中立が守れるだけの構えをしっかりと取っているのである。当然のことながら武装しているし、いざという時は国民皆兵ということになっている。言うまでもなくシェルターも整備している。食料についても公共的な備蓄だけではなく、個々の家庭に基本的な備蓄を義務づけている。その上で戦争に巻き込まれないためにはどうしたらよいかを考え、国際機関の本部や事務局を積極的に自国に誘致してきた。世界の紛争当事国の話し合いや仲介をするような会議がスイスで行われることについて誰も異論は唱えない。そういうことで永世中立が守られ、世界のどこの国も「スイスはけしからん」とは言わない。日本はスイスのような国づくりを学ぶべきではなかろうか。

 また、もう一つ大事なことは他からもらった情報によって政策を決めるのではなく、日本が独自の情報収集機能を持つことである。戦前は政府や軍部も情報収集には力を入れていたし、民間企業でも熱心に情報収集に努めていた。情報収集について、日本は相当進んだ機能を持っていたが、今やそういう機能はほとんど失われてしまった。

 国民の生活、安全を守っていくためには世界の動きをいち早くキャッチして、それに対応する政策を実行することが何よりも大事なのに、まったくそういうところに目が向いていない。非常に残念なことだ。

 エネルギーについても石油の国家備蓄がある程度あったものを今回アメリカから言われて直ぐにその一部を供出してしまった。この一事をもってしても日本の独立はないと言わざるを得ない。石油の備蓄は国も自治体もやるべきだし、地域の生活が成り立つ最低限のエネルギーの確保は絶対にやらなくてはならない。電力に関して言えば、太陽光発電や小型水力発電が可能な地域は全国にたくさんあるので、地域エネルギーの確保は再生可能エネルギーで賄う。産業用エネルギーまで確保することは直ちにはできないが、国民が生活していける最低限の電力を確保していける体制を整えることが大切である。

 シェルターを整備して身の安全をまず確保し、食料やエネルギーを備蓄しておけば、いざという時になんとか生きながらえることもできる。他の国を攻撃することよりも、まず国民の安全を確保することが政治の務めだと思う。

 戦争というのは、当時国にとってそれぞれ理由がある。それぞれの国にとっては常に正義の戦いなのである。立場が変われば良い戦争が悪い戦争になるわけだが、客観的に見て戦争に良い戦争も悪い戦争もない。どういう戦争であっても、いつも犠牲になるのは、何も知らない、罪のない善良な市民であり国民なのである。そういう人達にそういう思いをさせない環境をつくるのが政治の最大の仕事だと思う。今度の参議院選挙の後がいよいよ日本の正念場だと思う。