いよいよ総選挙に突入することになるが、今回の衆議院の解散は、私から見ると、安倍首相の恣意的な解散であって、大義名分がまったくない解散だと言わざるを得ない。しかも野党が臨時国会の召集を再三求めていたのにそれを3ヶ月も放置しておいて、9月28日(木)に国会を召集すると所信表明演説も代表質問もなく、基本政策についての与野党の論戦を全く行わずに、冒頭で解散したことはまったくの暴挙で、言ってみれば政権延命の為の解散としか言いようがない。
マスメディア等でも色々言われているが、国会を開くと前国会から引き続いて森友問題・加計問題で追及されることが目に見えている。また衆議院の補欠選挙もやらざるを得ない。更には安全保障政策や経済財政、金融政策などの行き詰まりも明らかになってくる。野党が力を失っている間に思い切って選挙をやって、多少議席を減らしても安倍政権が信任されたという姿をつくりたいという、まさにその1点で解散をしたのであって、北朝鮮の脅威が現実のものになりかねない中で、国民にとっては誠に迷惑な話である。
現に10月10日(火)から選挙戦に入るわけだが、いつの選挙でも選挙前には色々な動きが出てくる。特に個々の議員または候補者は自分が生き残る為、あるいは当選をする為に色々なことを考えて行動するというのは、いつの選挙でも見られることである。従って今の状況はそれほど驚くことではないが、ただ全く常識外れなことをやったのは民進党の前原誠司氏である。
9月1日(金)に行われた民進党の代表選挙を勝ち抜いて代表になったのだから、野党第1党の党首として堂々と今回の解散を受けて立って、安倍政権打倒の為の選挙を先頭に立ってやらなくてはいけない立場にも関わらず、民進党という政党は残しながらも、選挙で民進党の候補者は立てないという信じられないことを小池百合子氏との間で決めてしまった。野党が結集をして政権を倒すというのは当然のことで、政権を倒すのであれば、希望の党とも協力しながら、民進党が野党第1党として大きく議席を伸ばすように行動するのが代表の責任である。希望の党との合流を決めた直後の民進党の両院議員総会で前原氏は、政権を打倒する為にそういう選択をせざるを得なかったと説明した。それを受け止めた民進党の人達は全員、希望の党という名前で戦うのだと理解したのは当然である。
ところがその後の希望の党の公認候補を選定する作業の中で、小池代表は、これは合流ではないのだから民進党の人を全員受け入れることはさらさらないと発言し、いわゆる排除の論理によって候補者の選別をしていく。そして結果的にはリベラル系の人達が排除されるということになった。その一方で、与党であっても自分の親しい議員の選挙区には候補者を立てないことや、維新の党と協力して維新の勢力の強い大阪では希望の党の候補者を出さないことを勝手に決めてしまう。まさに小池氏の「私党」になってしまった。自分の好き嫌い、自分の判断ですべてを決めるという非常に思い上がった存在になってしまった。まさに民主主義政党ではなく、最初から独裁政党の体質を持っていると言わざるを得ない。だから都民ファーストの会のオリジナルメンバーがやむにやまれず離脱をすることも起きてくる。
しかも都知事と党首を天秤にかけて、希望の党の期待感、支持率がどんどん大きくなって、野党第1党として他の野党と力を合わせれば首班指名で総理になれる可能性があるのか、あるいは難しいのか、そこを見ながら都知事を辞めるか辞めないかの判断をしているようだ。都政の重要さ、更に国政の重要さというよりも、自分が何になれるかをすべての尺度として判断しているように見える。野党第1党になれる可能性があるとするならば、自民党政権、なかんずく安倍政権とは目指す社会の姿形がどう違うのか、理念と基本政策を明示するのは当然のことである。ところが未だにそれが見えてこない。小池氏はマスメディアの使い方やネーミングには極めて優れた人だと思うが、どういう社会をつくろうとしているのか、その基本的な理念が全く見えない。こういう人が大きな国民の支持を集めることは非常に危険なことだと思う。もともと小泉純一郎氏や竹中平蔵氏と極めて近い考え方の人であり、その路線を進んでいくことは大体想像がつく。10月6日(金)の朝、小池代表が理念、政策を発表した。思った通り、安倍政権と大差はない。経済政策についてもアベノミクスに代わる「ユリノミクス」を実現させるなどとマスコミ受けを狙ったことを述べていた。
安倍首相の恣意的な解散による今回の選挙では、憲法改正が大きな争点になってくる。もともと私は憲法改正そのものに反対ではない。ただ9条は変えるべきではないと主張している。憲法改正そのものは反対ではないというのは、例えば私が従来から提唱しているように、衆参両院の役割を明確にすることもその一つである。衆議院は現行のように人口比例による議席配分を行うが、参議院は人口比例ではなく地域代表という位置付けを明確にして、アメリカの上院のような役割を持たせる為には憲法を改正しなければならないのである。
今回の解散について思うことは、憲法7条によって衆議院を解散するという天皇陛下の詔書がいつも通りに読み上げられて解散されたのだが、憲法7条というのは私の持論だが、天皇陛下の国事行為を規定したものであって、総理の解散権を規定したものではない。あくまでも総理が解散できるのは、憲法69条の規定によってのみである。内閣不信任案が可決されるか、信任案が否決をされた時は、10日以内に衆議院が解散されない限り、内閣は総辞職しなければならないという規定である。その69条にしか総理の解散権について触れた条文はないのである。私が大学時代に憲法を学んだ有名な憲法学者・宮沢俊義さんも7条解散は明らかに違憲であると盛んに言われていた。このことは議院内閣制の根幹にかかわることだと思う。
議院内閣制はあくまでも国民から選ばれた衆参両院、特に首班指名において優先権を持っている衆議院の指名によって行政権の長である首相が選ばれる。国会が、行政権の長である首相の生みの親であり、その産みの親である国民から選ばれた代表である衆議院を解散するというのは、よほど厳しく内閣と野党が対立をして、その結果として不信任案が出されたり、逆に与党から信任案が出されたりして、その結果、不信任案が可決された、あるいは信任案が否決された時にのみ解散をするということを憲法は想定していたはずである。7条の3項について総理の解散権を容認しているかのような解釈をして、しかも総理にとって最も都合のよい状況で解散を恣意的にするということは、私は全く憲法違反だと思っている。
小池氏が選挙に出るのか、出ないのかが注目されてきたが、「都知事になって間もないのに都政を放り出して国政に戻るというのはあまりにも無責任」、「都知事に専念すべきだ。」と都民の多くが思うのは当然だ。築地市場の豊洲移転の問題にしてもまだ道筋がはっきりしていない。都政に重要課題が山積している中で、本人も選挙に出るべきかどうか判断をしかねているのだろう。
小池氏はともかく、それに乗せられた前原氏は、結果として民進党を壊したのである。両院議員総会で了承されたというのも、皆が揃って希望の党で戦うのだということで了承されたわけで、そうではないということになれば、本来から言えば、両院議員総会をもう一度開き、申し訳なかったと謝った上で代表を辞めるというのが筋である。ところが時間切れでそれもできない。未だに民進党の代表は自分だと言っている。これまたずいぶん無責任な話である。
今回の選挙の位置付けは何なのかと問われれば、これは安倍政権の5年を総括する選挙だと言わざるを得ない。従って安倍政権が目指している日本の国家像、社会像と我々が目指しているものとは違うのだということを、野党は堂々と明示すべきである。そうしなければ政権選択の選挙にはならない。希望の党にしても野党第1党になろうとしているのなら、それを国民に示さなくてはいけない。安倍政権打倒と言いながら、理念や政策が安倍政権とどこが違うのかがはっきりしない。これでは政権選択のしようがない。
そういう中、今回の騒動のいわば副産物のように生まれてきたのが「立憲民主党」である。立憲民主党は「立憲」という言葉を頭に付けているだけに憲法に則って政治を行う、憲法に不備があるならばそれを改正することはいとわない、しかし憲法を改正しない限り、現在の憲法を遵守するのは当然のことというスタンスである。
そして集団的自衛権の行使は憲法に反するということを主張している人達である。自衛隊の存在を憲法に明記することは私も必要だと思っているが、集団的自衛権の行使を容認するという閣議決定を行った上で、安全保障法制をつくりかえるという今までの内閣がやらなかったことをやってしまったのだから、その上で自衛隊の存在を明記するとなると、まさに自衛隊がアメリカを守る為の集団的自衛権の行使に使われてしまうことになるわけで、結果として日本の国民を危険に晒す可能性が極めて強くなることに他ならない。そこは大事なポイントだと思うが、そのことについては、立憲民主党は極めて明快だし、その他の政策、公約はこれから明らかになってくるだろうが、今までに結集した人達の言動からみると、極めて筋の通ったものになるだろうと思う。
これまでの安倍政権の暴走をみて危ういと感じている国民はたくさんいると思う。これを何とか正してほしいという国民の期待を受け止められる政党が残念ながら今まではっきりしなかった。今回、立憲民主党という新党が生まれたことによって、安倍政権は危ういと思っている人達の受け皿として、この政党が今回の選挙で大きく躍進してほしいと思っている。
今の北朝鮮問題にしても、安倍首相はアメリカと相談をしながら「制裁を強める。」ということばかり言っているが、制裁を強めることは結果的に相手の反発も生まれてくる。金正恩という計り知れないようなことをやるリーダーを持っている国であり、しかもそれに対して「制裁を強める。」と言っているアメリカのトランプ氏も常識では計れないような大統領であり、そういう中でアメリカと一体となって「制裁」と言っていることは、結果的に日本が攻撃を受ける可能性をむしろ大きくしていることだと思う。
北朝鮮問題に関しては、私は前から言っていることだが、やはりロシアの影響力が極めて大きい。金日成を擁して北朝鮮がスタートした背後で大きな影響力を持っていたのは旧ソ連、引き続きロシアになってもその影響力は続いている。ロシアのプーチン大統領が「制裁だけでは解決しない。」と言っているのは、それなりに北朝鮮情勢を熟知しているからだと思う。せっかく安倍首相がプーチン大統領と何度も会って「何でも言える間柄」と誇示しているわけだから、つい先日、ウラジオストクに行った時に、「北朝鮮の問題を平和的に解決することが日本の国民、国土を守ることになるばかりか、アジアや世界の安定の為にも不可欠なので、何とか外交交渉で解決する為にプーチン大統領に大きなリーダーシップを発揮してもらいたい。」ということをなぜ言わなかったのか。日本の総理であるならば、日本の国民、国土を守ることが第一義である。その為に最大限の外交努力をするのは当然のことではなかろうか。
今、中東情勢をみてもロシアの影響力はきわめて大きくなっている。プーチン大統領がどういう政策を実行するかによって、北朝鮮はもとより中東情勢やヨーロッパの情勢も大きく変わってくるのである。
アメリカは第2次世界大戦以後、世界各地に手を広げてアメリカの影響力を世界に及ぼしていこうという戦略を取ってきた。中東にもアジアにも中南米諸国にも介入していったが、ことごとく失敗している。ただ対日政策だけは長期にわたって戦略的にきちっと組み立てて実行してきた結果、唯一成功している。アメリカにとって日本ほど従順な国は他にはない。だからアメリカの総合的な国力が落ちてきている中で、アメリカの世界戦略、なかんずくアジア戦略を推進していく為に日本をどう使うかということをアメリカとしては当然考えていると思う。しかもアメリカの製造業が衰退してきた中で、兵器産業がアメリカにとって大きな力の拠りどころになっている。日本を取り巻く危険な情勢の中で、日本の防衛力強化を求めながら日本や韓国に兵器を売ろうとしているのは明らかではなかろうか。最近の動きを見ていると、アメリカの軍事戦略に日本は完全に組み込まれていると言わざるを得ない。
日本の周囲に危険な国があるとすれば、日本の国を守る為に防衛力を強化することは必要だが、しかしその防衛力を使わないで済む環境をつくる外交努力がもっと大切なことなのである。よく「武力」という言葉を使うが、「武」という字は「戈を止める。」と書く。戈を止める力というのはあくまでも防衛力であり、他を攻めるというものではない。その思いを大切にして我が国は専守防衛を今日まで守ってきている。ところが、安倍内閣は集団的自衛権の行使を容認することによって専守防衛から一歩踏み出してしまった。そしてそのことによってかえって国民を危険に晒すことになってしまう。日本外交の一番大事なところは、日本を敵だと思う国をできる限り減らしていく努力であり、更には世界の平和な環境を構築する為に日本の存在が必要なのだと思われるような国づくりを進めていくことだと思う。スイスにしても北欧諸国にしても、平和な国際社会を維持していく為に積極的な役割を果たそうという意思を持って外交を進めている。そういう国を攻撃しようという国はどこにも生まれてこないわけで、そういう国づくりに学ぶべきだと思う。今回の選挙では、北朝鮮問題を含む安全保障政策も大きな争点になるだろう。
この他にも社会保障政策、年金や医療等の安定と将来に対する安心を持ってもらう思いきった政策も大事になってくる。その財源問題として当然、消費税がいかにあるべきかという問題も争点になる。財政政策、金融政策についても、財政と金融が一体となっているようなことで日銀を政府の懐ろのように使っているのが現状で、これは自ずからから限界が来る。アベノミクスなるものの危うさは、今回の選挙戦を通じて大きく争点として取り上げていくべきだと思う。
立憲民主党の枝野幸男代表は、自分もこういう政党をつくるとは全く想像していなかったと正直に語っているが、せっかく今回の騒動の中での副産物のように党が誕生したのだから、安倍政権の対抗軸となる理念、政策を今回の選挙戦で堂々と打ち出して国民の支持を集め、野党第1党として政権交代の中心的な役割を果たすことが、日本の将来の為に必要なことではないかと思っている。その躍進を祈りつつ、有権者の賢明な判断に期待をしている。