※私が主宰する「政経文化フォーラム」において、去る2024年5月30日(木)に行った講演の要約を掲載しています。
先日、台湾の正副総統が交代し、就任式が行われたばかりである。私は民間交流の重要な行事があったので、久しぶりに台湾を訪れ、多くの人達と色々な話をしてきたので、皆様方にご報告をしたい。
コロナ禍で台湾には5年近く訪れていなかった。私が最初に台湾を訪れたのは、日中国交回復の2年後の1974年、ちょうど今年で50年になる。
先日、私が名誉会長を務めている日華(日台)親善協会全国連合会と、カウンターパートである台湾の対日文化経済協会との姉妹交流が始まって35周年の記念行事が台北で行われた。台湾の新たな総統、副総統の就任式の直前だったが、日本全国から各県の代表と一緒に60人を超える人達で台湾を訪れ、交流をしてきた。ちょうど10年前の25周年の記念行事の時も私は参加した。その時には、私が長年ご指導をいただいた李登輝元総統もお出かけいただいた。今回は、頼清徳政権で外交部長(外務大臣)に就任した林佳龍さんをはじめ、多くの方々と交流し、大変実のある行事だったと思っている。その時にもスピーチで申し上げたが、この50年は台湾にとっては大変な50年だったと思う。まさに苦難の歴史と言ってもいいだろう。
私が最初に台湾を訪問した時は、参議院当選当期の親友・佐藤信二さんと一緒に訪れた。その2年前、国交が切れた時に椎名悦三郎さんが特派大使として台湾に行かれ、日本の立場を説明された。その時に私の先輩である綿貫民輔さんが随行された。その綿貫さんから、台北の飛行場に着くやいなや車の窓に生卵をバンバンぶつけられてひどい目に遭ったという話を聞いていたものだから、佐藤信二さんとともに相当の覚悟をして訪れたのだが、その心配は杞憂で、とても温かく迎えていただいた。その時のことをつい最近のことのように思い出す。
私は最初に訪れてから50年の間に150回は台湾を訪れている。これまで数多くの方々にお会いしてきたが、私にとって何よりも懐かしいのは、2020年に97歳で亡くなられた李登輝先生との思い出である。
蒋経国政権の終わり頃、1984年に李登輝さんは副総統になられた。その時の正副総統就任式にも出席し、また総統府でお会いした。それが李登輝さんとの最初の出会いで、以来50年近くお付き合いをさせていただいた。
1974年の初訪問の時は戒厳令下だったが、この戒厳令はその後も続き、世界で最も長い戒厳令として約40年続いた。私が訪れた時にも重要な場所には憲兵がいて、町の至るところに「大陸反攻」と書かれた横断幕が掲げられていた。「皆さんに金門島の基地を見てほしい」と言われて、軍用機に乗せられた。大陸のレーダーに引っかかってはいけないからと海面すれすれを飛んでいくのだが、海に落ちはしないだろうかとハラハラした思いがした。
台湾の人達は、国民党独裁政権の下で苦難の歴史を持っている。もともと蒋介石さん達は大陸において国民党支配の中華民国をつくっていたが、共産党との内戦に敗れて台湾へ逃げてきたのである。国民党政府は台湾に一時避難しているが、いずれは大陸に帰って再び政権を担うという立場だから一つの中国という建前で、台湾を中国全体の一つの省という位置づけにしていた。したがって、当時は地方政府としての台湾省があった。李登輝さんは台湾省の主席も経験されている。(続く)