※私が主宰する「政経文化フォーラム」において、去る2021年6月28日(月)に行った講演の要約を掲載しています。

 台湾の人達に接していると、幾多の苦難の道を乗り越えて、よく今日までやってこられたという思いが強くする。今、台湾の人達の中で、世代によって日本に対する見方が違うところがある。日本統治時代に教育を受けた人達はほとんどいなくなってしまったが、そういう人達の日本に対する思いは、日本人以上に日本人だった。

 今の40代~70代くらいの人達は、蒋介石政権の時に徹底した反日教育を受けた人達だから、日本の軍国主義は怖いと教わってきた。いわゆる東京裁判史観を基にした日本のイメージを叩き込まれたわけだが、家に帰ると両親や祖父母は「学校の教育は間違っている。日本はいいことをやったんだよ。」と全く違うことを言う。その人達は二つの相反する見方の間で葛藤を続けながら国民党政権の下で日本とのビジネスや経済文化交流を通じて、日本人の礼儀正しさや誠実さ、真面目さに接し、自分なりの日本人像を作り上げたきた。そしてその人達よりも若い世代、李登輝先生が総統になられてから教育を受けた世代は自由に正しい歴史を学んでいる。

 台湾の中学2年生の教材に『認識台湾』という本があり、この補助教材などを通して台湾の姿を自分達でしっかりと掴もうとしている。台湾に行った時に若い方々と接することもあるが、「自分達が歴史で習っているようなことを、外国人である亀井さんは実体験して知っている」と驚かれることが多い。

 李登輝先生の後、2000年に民進党の陳水扁さんが総統に選出されて2期8年務められた。その間に私は何回もお目にかかったが、たまたまある時、台湾から帰国の途につこうとしたところ台風が襲来し、飛行機が飛ばなくなったことがあった。陳水扁さんは私が帰国できなくなったのがわかっているものだから、ご連絡をいただいた。「台風の最中だから自分は公式の日程をすべてキャンセルした。私は総統府にいるので、亀井さん、よかったら訪ねてきてください。途中、倒木などがあるから気を付けて来てください。」と気を遣っていただいた。総統府に行き、お互い時間があったので2時間くらい色々な思い出話をしたところ、「亀井さんは、近代の台湾の歴史の生きた証人ですね」と言われた。

 今、私は日華親善協会全国連合会の名誉会長を務めているが、カウンターパートとして台日経済文化協会がある。その会の若手の方々は私が訪ねることを大変楽しみにしてくれている。台湾の戦後の歴史を自分達以上に知っている。自分達も勉強したいと大変謙虚に受け止めていただいている。

 数えてみればこの50年近くの間に既に130~140回台湾を訪れている。多い時は年に4~5回行く時もあった。政治家はもちろん、官僚、経済人、学者、文化人色々な方々とお目にかかってきたので、台湾の歴史についてそう間違った見方をしているとは思わない。とにかく台湾は日本にとってベストパートナーである。李登輝先生にこういうことを言われたことがある。「自由で独立した台湾なくして、自由で独立した日本はない。同時に、自由で独立した日本なくして、自由で独立した台湾はない。まさに両国は運命共同体である」。

 日本が台湾を統治していた当時から台湾と日本との交流の中で、多くの人達が多くの出会いを重ねながら、近代化を実現し、今日の発展を作り上げた。李登輝先生の言葉にそうした思いが集約されているのではないかと思えてならない。

 李登輝先生はゴルフが大変お好きで、若い頃はシングルプレーヤーだった。私も何度かご一緒させていただいたが、家内が李登輝先生の大ファンなので、プライベートの時は、いつも一緒に台湾に行き、総統府やご自宅にお邪魔をさせていただいた。政治の話が一通り済むと、家内と李登輝先生とのゴルフ談議が始まる。とても懐かしい思い出である。

 日本のことを大好きだった李登輝先生の思いをもっと真剣に捉えて、台湾と日本との関係を深めていくことが必ずやアジアの安定、そして世界の安定につながっていくと思う。(了)