※私が主宰する「政経文化フォーラム」において、去る2025年5月27日(火)に行った講演の要約を掲載しています。

 ユダヤ民族とアメリカとの関わりだが、19世紀半ばに各地でナショナリズムが台頭する時期に、ユダヤ人は各国で圧力を受け、そこから出ていかなくてはならなくなった。その時に大量にアメリカに入っている。金融資本で有名なゴールドマン・サックスの創業者マーカス・ゴールドマン、リーマンブラザースの創業者ヘンリー・リーマン、クーン・ローブ商会の創業者ソロモン・ローブなどもその時代にアメリカに入った。

 その中で忘れてならないのは、ロスチャイルドの動きである。ロスチャイルド財閥は、今は目立たないようにしているが、隠然たる勢力を持っているのは間違いない。ロスチャイルドは、アシュケナージ・ユダヤなのか、スファラディ・ユダヤなのか、オリエント・ユダヤなのか諸説ある。

 18世紀の後半にフランクフルトにあったユダヤ人のゲットー(居住区)にロスチャイルド、ポール・ウォーバーグ、バーナード・バルーク、ジェイコブ・シフ、オットー・カーンのそれぞれのファミリーが住んでいた。特に、ロスチャイルド1世とジェイコブ・シフは、同じ建物を2つに分けて暮らしていた。もともと両替商だったロスチャイルドはフランクフルトのヴィルヘルム公に巧みに入り込み、王室の財産の管理を任されるようになった。それを元にして金融業に入っていくのである。

 ロスチャイルドには5人の息子がいた。長男のアムシェルはフランクフルトに残し、次男のザロモンはウィーン、三男のネイサンはロンドン、四男のカールをナポリ、五男のジェームスはパリに送った。その兄弟が連携してロスチャイルド財閥を作っていくのである。特にロンドンに送ったネイサンは金儲けの天才といわれた。ナポレオン戦争の最後の決戦となったワーテルローの戦いの時に、イギリスが負けたという偽情報を流した。当時、ロンドン市場ではロスチャイルドは極めて早く情報をつかむことで知られていたので、ロスチャイルドが株式を売りに出たのに追随して、投資家が一斉に売りに出て、株価が底値になった。その時を見計らってネイサンは株を買い占め、結局イギリスが勝っていることが明らかになると株価は暴騰し、気がつけばヨーロッパ一の大金持ちになっていたのである。そのネイサンと五男のジェームスが極めて緊密に連携して、金融のみならず、フランスでも鉄道やワインの事業で成功を遂げ、富を増やしていった。

 ロスチャイルドにはアメリカという国を何としても手中におさめたいという野望があったが、自分自身はアメリカには渡らず、兄弟分であったジェイコブ・シフ、ポール・ウォーバーグ、バーナード・バルーク、オットー・カーンなどがアメリカに渡った。

 アメリカに渡ったジェイコブ・シフはクーン・ローブ商会の創業者のソロモン・ローブの長女のテレサと結婚して経営者となり、シフと前後してアメリカに渡ったポール・ウォーバーグは、次女のニーナと結婚し、クーン・ローブ商会の共同経営者になった。クーン・ローブ商会のジェイコブ・シフが、日露戦争の時に日本に戦費を貸し付けた。戦争で使った戦費の7~8割はシフから法外な金利で借りたものである。その借金を返すために当初は60年で返す約束だったが、金利が高くて返しきれず、最終的には82年かかった。昭和61(1986)年、中曽根内閣の時にようやく返し終えたのである。

 彼らがアメリカに渡った時に鉄鋼で大成功したカーネギー、石油で大成功したロックフェラー、鉄道で大成功したハリマンの3人に目を付けた。そこでまず、アメリカの金融界を支配していたモルガン、ビルド、ドレクセルと協力して銀行を合併させて、その銀行連合にジェイコブ・シフを通じてロスチャイルドがお金をどんどん注ぎ込み、そういう中でアメリカの産業経済・金融を握っていくのである。

 特に決め手になったのは、中央銀行らしきものを作って通貨発行権を握るために、FRB(米連邦準備制度)を作ったことである。アメリカのFRBのことを日本のメディアでは「中央銀行にあたるFRB」という言い方をしている。中央銀行にように見えるが、FRBは国家機関でも国営銀行でもなく、民間の金融機関である。(続く)