※私が主宰する「政経文化フォーラム」において、去る2025年5月27日(火)に行った講演の要約を掲載しています。
アメリカにユダヤ人がどういう形で入ってきたのかを振り返ると、もともと19世紀の初めまでは、ユダヤ人はアメリカに数千人しか住んでいなかった。その後、世界の色々な出来事をきっかけにしてアメリカにどんどん入ってきた。ユダヤ民族は現在イスラエルに約700万人、アメリカに約600万人、世界全体で約1,500万人くらいしかいない少数民族だが、しかし世界の動きを見ていると、ユダヤ人が主導権を握っているのだなとつくづく感じないわけにはいかない。
イスラエル政府の公式な見解では、ユダヤ人はユダヤ教を信仰しているユダヤ教徒であること。もう一つは、男親が何人であってもユダヤ人の女性から産まれたこと。このどちらかの条件を満たす人をユダヤ人であると定義している。
ユダヤ人は紀元後間もない頃にローマに戦いを挑んで滅ぼされて離散していく。日本にも波状的に何回も来ているということが考古学者の研究でも明らかにされており、日本の文化にも大きく貢献していることは間違いない。考えてみれば、あれだけ優秀な民族であっても自分の故郷を追われて世界に離散し、どこへ行ってもいじめられてしまうわけで、優秀であるがゆえに警戒されることもあるのだろうし、また、それぞれの民族・国に同化してユダヤ人であることを隠さざるを得ない生き方をしている人もたくさんいるのである。
ユダヤ人と一口に言っても色々ある。大きく分けると、一つはアシュケナージ・ユダヤ。十字軍の弾圧を怖れたユダヤ人がヨーロッパ各地からポーランドに逃げ込み、ポーランドが大きくなるにつれて、ウクライナ、ロシアにも入っていく。その後、ポーランドがオーストリア、プロイセン、ロシアによって分割される中で国外へ出ていかなくてはならない人達がたくさん生まれたのである。
もう一つは、ハザール・ユダヤ。7世紀~10世紀にかけてカスピ海の北域から黒海に至るコーカサス地方で覇権を唱えて大きく栄えたハザール帝国があった。トルコ系の遊牧民族、騎馬民族で、極めて好戦的、攻撃的な民族だった。その後、南からイスラムの力が及んでくる、西からビザンティン帝国の力が及んできて、イスラムやキリスト教に改宗を迫る圧力が強くなってくると、当時のハザール帝国の王はユダヤ教に改宗する決断をし、国のリーダー達も一斉にユダヤ教に改宗した。
そのハザール帝国が全盛の頃、ヴァリヤーク人(ヴァイキング)が覇権を広げながらフィンランド、バルト三国を巻き込み、更に東スラブの人達を巻き込んで、ウクライナの少し北にあるノヴゴロドにルーシ国を作ったのである。その後、中心をキエフに移し、キエフ・ルーシ大公国になるが、ヴァリヤークの人々は自らをルーシと呼んでいたので、ロシア、ベラルーシという国名はルーシが作った国だという意思表示である。
そのキエフ・ルーシ大公国によってハザール帝国は滅ぼされ、ハザールのユダヤ人は東ヨーロッパやロシアに離散することになる。その後、キエフ・ルーシ大公国はピョートル1世によりロシア帝国になるが、そのロシアにおいて、当時の王朝はユダヤ人に農民からの徴税の仕事などをやらせた。その後、帝政ロシアに対する恨みが農民の間に広がり、王朝の手先になっているユダヤ人はけしからんということで、ポグロム(ユダヤ人の大虐殺)が起こり、十数万のユダヤ人が虐殺された。そういう中で、ユダヤ人は新しい地へ逃げていかざるを得なかったのである。この時、多くのユダヤ人がアメリカに移ったが、その子孫がブリンケン前国務長官やヴィクトリア・ヌーランド前外務次官、更にはフェイスブックのマーク・ザッカーバーグ等である。
もう一つの流れは、スファラディ・ユダヤである。中世において長い間、イベリア半島をイスラム勢力が支配していたが、1492年にスペインのイザベラ女王がイベリア半島を統一してユダヤ教徒とイスラム教徒を追放したので、ユダヤ人がヨーロッパの各地に離散した。更にユダヤ民族で中東から離れず、アラブの人達と同化していくオリエント・ユダヤがいる。かつてイラクのバクダッドに大きなユダヤ人のコミュニティがあり、商人だったデイヴイッド・サスーンは、当時、清とアヘン貿易を行ったりして巨万の富をつくり、後に上海に拠点を移した。香港の商社ジャーディン・マセソンは、スコットランド人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンの2人が設立したが、これもユダヤ人である。彼らが協力して作ったのが香港上海銀行であり、世界で最も力のある銀行と言っても過言ではない。今でも厳然として、特に中東、欧州、アジアでは大きな力を持っている。(続く)