※私が主宰する「政経文化フォーラム」において、去る2024年11月28日(木)に行った講演の要約を掲載しています。
日本の政治は全く混迷状態であり、どういう方向に進むのか、皆様も大変心配されていることと思う。長く続いた自民党政権を構成する自公両党はもはや政党としての機能を失いつつあるように見える。国民のために何をやらなくてはいけないかという最も大切な部分がどこかへいってしまっている。とにかく政権を維持しなくては大変だということだけを色々と考えているのだろうが、そのことが国民に見透かされてきていると思う。
振り返ってみると、私が参議院議員に初当選した1974年からしばらくして、ロッキード事件が起こり、自民党が大混乱に陥った。自民党をつくり替えないとどうにもならなくなると、河野洋平さんや西岡武夫さんらが新自由クラブを結成した。その人達から私も誘われ、「亀井久興は近いうちに新自由クラブに移るだろう」という報道もあった。でも、私はお断りした。なぜかと言うと、新自由クラブに来てくれないかと誘われた時にこんな議論をした。「自民党はけしからんと言って外に出て行くのはよいけれど、一体何をやるのですか?何をやるのかを明確にせずに新しい党を作っても長続きはしませんよ」と私は申し上げると、「自分達は自民党内で文教政策を中心に活動してきた。党の文教政策もそのまま引き継いでいるので、基本政策はそんなに変わるものではない」との返答だった。私は「そういうことであれば新自由クラブは早い段階で失敗すると思いますよ」と言うと、血相を変えられた。
自民党がどうしようもないから外へ出て目覚めさせてやる、そのことだけで自分達の歴史的な役割は終わるのだという目的であれば、おやりになってもいいと思ったが、当時、その方々はまだ若手政治家で次のリーダーたらんとしている面々だった。であれば、自民党に代わって、こういう社会、こういう国をつくるということを明確に打ち出さなければ意味がない。結局、私は自民党に残ることにして、参議院議員の中山太郎さん達と「新しい自民党をつくる会」を発足させた。衆議院議員に呼びかけると彼らは政局や選挙に利用するから本物にならない。参議院だけで一つの形をつくって、衆議院に呼びかけようということでスタートした。
党の全国青年議員連盟や市町村支部の青年部などの人達に私達のアピールを送り、中央で集会を開いて、党の再生に取り組んだ。その一つとして、政権政党である自民党は国民政党であるのだから、国会議員だけではなく、全党員の参加によって総裁を選ぶという、いわば総裁選の民主化をやりましょうと提案をし、党大会で緊急動議を出そうとした。その動きを党執行部が察知して「党大会を混乱させるようなことはやめてくれ!」と言ってきた。「自分達がその提案を引き取って、必ず党の中で議論の俎上に乗せるから」と約束し、その後国民運動本部長であった中川一郎さんがその提案を基にして、総裁公選規程の改正へと進んだのである。
当時のことをよく覚えているが、衆議院に呼びかけた時に、真っ先に賛同したのが小泉純一郎さん、そして加藤紘一さん、山崎拓さんだった。後にYKKと言われた人達である。その小泉さんと郵政問題でぶつかって、私が党を除名されることになるとは当時は夢にも思わなかった。
とにかく当時の自民党は活力があった。若手議員が毎晩のように議論をしていたし、また当時の自民党のリーダー、佐藤栄作さんにしてもその後のいわゆる「三角大福中」にしても、それぞれ個性的で迫力があったし、面と向かうと人を圧するような風格もあった。ところが、今の自民党の政治家を見ていると、直接会っても風圧を感じるような人は誰もいない。先般の自民党総裁選挙にしても、あんなにたくさんの立候補者が出て、まるで中学や高校の学級委員を選ぶような選挙のようにさえ見えたが、結局、石破茂さんが五度目の挑戦で勝利した。
石破さんを昔からよく知っているが、何度も総裁選に出たように、トップリーダーたらんという気持ちが強い。それであれば、もっと準備をしておくべきで、自分が総理になったら、こういう国をつくる、こういう社会をつくるということを堂々と主張すべきである。中曽根康弘さんは、良い悪いは別にして、自分がいずれ総理になった時にはこんなことを実行しようと、総理になる前から一生懸命準備していた。当時の派閥のリーダーはみんなそういうことをやっていたのである。ところが、石破さんはそういうことをやらない。周りに協力してくれる人がいないということなのかもしれない。
外交デビューとして、去る11月15日(金)~16日(土)、ペルーの首都リマで行われたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に出席した。石破総理の外交上の初舞台だったのだが、テレビ報道を見ていて何とも情けないと思ったのは、石破総理は出席したリーダーの中では初参加なのだから、会議場に入ったらまず各首脳のところを挨拶に回るべき立場なのである。ところが何もしないで座っていて、しかも他の人達が挨拶に来ても立ち上がりもせずに握手をしていた。そのようなことは基本的に外交儀礼に反することだと思う。しかも、集合写真に一人だけ間に合わなかった。ペルーのフジモリ元大統領の墓参りに行って、帰りに交通渋滞に巻き込まれたというが、一番大切な集合写真の時に間に合わないというのは外務省の失態も甚だしい。周りに支える人がいないことを、その一事をもっても痛感した。総裁選で言っていたことを二転三転させ、とにかく今は一日も長く総理の座にいることしか考えていないように見える。党内の空気は皆冷やかで、石破さんを助けようとは誰も思っていないのではないだろうか。
高市早苗さんが「ここで対立を煽ってしまうと政権そのものが野党に移ってしまう。ここはみんな我慢して協力してほしい」と呼びかけていたが、そういうことを言ったのは高市さんぐらいである。あとはみんな静観している。林芳正官房長官も自分の務めは果たしているだろうけれど、政局のことになると黙ってしまう。彼も総裁選に立候補したわけだから、次も出たいという意欲はあるだろう。岸田グループは最終的に石破さんを推したので、林さんは石破さんがダメになった時に、岸田グループが自分を推してくれると思って、チャンスを窺っているのだろう。
今のアメリカの動きなどを見ていると、当初は小泉進次郎さんと河野太郎さんを組ませて政権を取らせてみたいと思ったけれども、二人とも力不足だから無理だということがわかった。次は、小林鷹之さんと林芳正さん、それからダークホースで木原誠二さんが出てくる可能性があると思う。そう遠くなく、石破政権が終わりになる時が来るのではないだろうか。来夏の参議院選挙が一つの大きなきっかけになると思うので、その時に備えて、野党は政権交代の準備をしっかりしておくことが大事だと思う。(続く)