※私が主宰する「政経文化フォーラム」において、去る2024年5月30日(木)に行った講演の要約を掲載しています。

 1947年に、国民党独裁政権の弾圧で多くの死者が出た「2.28事件」が起こる。20,000人近くの台湾の人たち(本省人)が虐殺されたので、当時の国民党政権に対する台湾の人達の怒りはものすごいものがあった。反政府分子だと言われて逮捕されたり、監獄に入れたりするので、海外に亡命をする人達もたくさんいた。

 高雄市長や行政院長(首相)もされた現在の駐日大使・謝長廷さんは非常に立派な政治家だが、この方もひどい目に遭った1人である。民進党政権になってからは、アメリカへ亡命していたような人達も帰ってきた。そういう台湾の民主化を指導したのが李登輝さんである。もともと農業経済学がご専門で、京都大学で学ばれ、アメリカのコーネル大学を卒業された立派な学者である。蒋経国さんは早くから李登輝さんの手腕、力量を買っていたものだから、色々な要職に抜擢した。その裏には蒋経国さんなりの考えがあったと思う。私はたまたま縁があって、蒋経国さんの息子である蒋孝武さん、蒋孝勇さんと仲がよかったし、ご家族とも親しくさせていただいたので、蒋経国さんの考えもよくわかった。要するに「大陸反攻」とやってきたけれども事実上無理だと。大陸から逃げてきた人達が台湾の本省人の上に居座るのには限界がある。やはり台湾の人達の気持ちをよく理解して支持されなければ、国民党政権は持たないとわかっていたから、自分がかねてから高く評価している李登輝さんを副総統として起用したのである。

 蒋経国さんが台湾の人達にひどいことをやったことについては何をか言わんやだが、一方で「十大建設計画」という大規模な国家プロジェクトをスタートさせてインフラ整備をはじめ、基幹になる国営企業の設立を同時進行で推進した。これが台湾の経済発展の基礎をつくったことは間違いない。その点においては評価されていると思う。

 1987年に蒋経国さんが突然亡くなって、翌88年に李登輝さんが総統になられて、12年にわたり総統を務められた。その間に憲法改正を6回も断行し、台湾省を廃止したり、立法院における大陸選出議員をやめさせて、思い切った定数削減を行い、更には総統の選出を民選によるものとし、1996年に初めて国民投票による総統選挙が行われた。一党独裁から様々な改革を行い、最終的に総統を直接選挙にするということは、革命を起こさなければできないようなことだが、台湾の人達の理解を得ながらそれを着実に進めたところに、李登輝さんならではの優れた見識と指導力があったのだと思う。

 李登輝さんが憲法を改正して、総統を直接選挙で選ぶようにした頃に、中国共産党青年団の一行が来日し、中国大使館から外務省に連絡があって、台湾に近い議員と議論がしたいということで、私も何人かの議員と一緒にその人達に会った。その時彼らは李登輝さんのことを非常に悪く言うので、私は腹が立ち、彼らに言った。「李登輝さんは国民党が政権を失うこともあり得るという覚悟までした上で民選に踏み切ったのだから、その決断はたいしたものではないですか」と言ったら、みんな嫌な顔をしていた。

 実際に李登輝さんが2000年に総統をやめられて、2000年の総統選挙で陳水扁民進党政権が誕生し、政権交代が行われた。その陳水扁さんが総統を2期8年務められ、その次にはまた国民党の馬英九政権に変わった。そして馬英九さんが2期8年を務め、その後、蔡英文さんが民進党政権を8年間担った。極めてスムーズに政権交代が行われているのである。私は先日の記念行事の際にスピーチで申し上げたのだが、経済発展も素晴らしいし、今やTSMCが世界の半導体業界をリードしており、ITをはじめ先端企業も多く生まれてきている。更に経済的な発展もさることながら、政治的にも苦難を乗り越えて、これだけの政権交代が行われるということは極めて成熟した民主国家だと言ってもいい。経済も政治も両面で成果を上げながら、今日まで来られたことに台湾の1人の友人として嬉しく思うというスピーチをした。

 その時にもう一つ付け加えたのは台湾有事のことである。今、しきりに台湾有事が言われている。安倍晋三元首相は「台湾有事は日本有事である」と言って、台湾の人達を勇気づける思いで言ったのだろうが、李登輝さんがよく言われていたことは、「自由で独立した台湾の存在なくして、日本の安定と発展はない。同時に、自由で独立した日本の存在なくして台湾の安定と発展はない。したがって、台湾と日本は運命共同体なのである」ということである。そして大陸との関係について言えば、「独立した国と国との特殊な関係というのが台湾と大陸との実態である」とよく言われていた。(続く)