生年月日 | 昭和14年11月8日 |
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本籍地 | 島根県鹿足郡津和野町 |
現住所 | 東京都目黒区 |
十二支 | 卯 |
星座 | 蠍座 |
血液型 | B型 |
家族構成 | 妻、娘3人、孫3人 |
親族内の政治家 | 故 有馬頼寧(祖父 農林大臣) |
趣味 | スポーツ(ゴルフ・スキー等)、音楽鑑賞、旅行 |
特技 | ジャズドラム演奏 |
座右の銘 | 行不由径(ゆきてこみちによらず) 出典…論語 意味…物事を成すのに近道を求めたり小細工を弄したりせず、正々堂々と真正面から取り組んでいく。 |
尊敬する人 | 勝海舟、松下幸之助 理由…卓越した先見力 |
著書 | 「21世紀・世界の調和と日本」「逆発想 国づくり」「許すまじ!日本売却」 |
父は亀井茲建(元東北開発株式会社総裁)、母方の祖父に戦前近衛内閣の農相を務めた有馬頼寧がおり、また社会大衆党のリーダーだった亀井貫一郎は分家筋にあたる。こうした家庭環境もあってか、少年時代より政治家を志した。
一見地味なタイプでおとなしそうに見えるが、信念を曲げずに頑固に筋を通す芯の強さがあり、温和な性格の中に強い信念と情熱を併せ持った政治家である。
例えば昭和51年、政界がロッキード事件という大激震に見舞われ、自民党が大混乱に陥っている中で、中山太郎元外相(当時参議院議員)等、参議院の有志 と党の再生運動に取り組んだ。国会議員をはじめ、自民党の各都道府県支部や党所属の地方議員に呼びかけて「新しい自民党をつくる会」を結成し、国民に開か れた政党を創る為に積極的な運動を展開した。特に全党員参加による総裁選挙の実現を図る為、呼びかけに応じた全国の有志と党三役(当時内田常雄幹事長・松 野頼三総務会長・桜内義雄政調会長)を招いて大会を開き、党則の改正を求めた。その結果、この要請を党の正式機関が取り上げることになり、現在の総裁公選 規定への道を開いた。
また昭和53年大平内閣で郵政政務次官を務めた時は、全逓が勝負をかけた大闘争の最中であり、翌54年の正月には年賀郵便が配達されないという異常事態となったが、白浜仁吉郵政大臣を補佐して郵政事業を守り抜き、今日の健全な労使関係を築くきっかけを作った。
平成5年に衆議院逓信委員長を務めた時は、小泉純一郎郵政大臣に反発する逓信委員が与野党一致して審議を拒否した為に委員会が開けず、郵政関係の法案 の処理が全くできない事態となった。そこで委員長として大臣と委員会との調整に誠心誠意努力した結果、委員会を正常化させ全付託法案を処理することができた。
このような経験から郵政事業や電気通信行政には特に精通し、小泉首相が郵政民営化を実現しようとする中、民営化は国益を損なうと真っ向から反対論を唱えた。 2005年の郵政解散を契機に国民新党創設とともに幹事長に就任し、選挙後の国会でも郵政民営化法案に反対の姿勢を貫いた。
また過疎化が進む島根県が地元である為、農林漁業振興や離島振興、治山治水対策、伝統文化や文化財保護等、一見地味ではあるが、古くから日本を支えてきた風土や文化を守る活動に力を入れている。その反面、海外との交流にも関心は高く、二国間の友好議員連盟のほとんどに加入し、うちいくつかは会長などの役職を務める。駐日大使や来日する要人と直接英語で話すことができ、国際交流に努めている。また超党派でNPOを支援するなど、その活動範囲は極めて広い。